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兵庫県洋菓子協会の歴史
洋菓子業界の夜明け

19世紀末の開港以来、異文化の風がつねに吹き続けた兵庫・神戸界隈。 新しいものを次々に取り入れる神戸の気風と職人たちの試行錯誤により、西洋菓子の世界も明治・大正時代と確実に根付きました。続く昭和時代は、戦争という荒波にもまれました。昭和20年、第二次世界大戦、終結。統制経済の続く中、洋菓子業界は混迷状態にありました。そこで、業者の利益を守り、戦争でバラバラになってしまった職人たちの連絡場所としても、組合を組織する必要がありました。そして、昭和21年12月、洋菓子協同組合は発足しました。食べることさえ満足にできない時期の旗揚げだけに困難を極めました。
  24年7月、神戸洋菓同好会が発足、ガリ版刷りの機関紙「洋菓」を創刊しました。初代会長は西村建太郎氏。メンバーは、細谷安次(ジャーマンベーカリー)、後藤乙吉(菊屋)、茶屋岩盛(アルモンドベーカリー)、小林孝二(パテーシェーフランセーズ)、近藤信一(東京木村屋)、西住重信(パウンドベーカリー)、長手一郎(オリエンタルベーカリー)、頼重操(ビクトリヤベーカリー)、宮浜一三、阪本源平(フレンドベーカリー)、佐藤憲次、細谷健次(ジャーマンベーカリー)、中垣喜代一、保田三郎、川端新次郎でした。

神戸洋菓同好会総会記念写真(S25.1.22)
前列右より小林孝ニ、細谷安治、後藤乙吉、茶屋岩盛
中列右より佐藤憲次、頼重操、長手一郎、近藤信一、宮沢十三
後列右より川端新次郎、西住重信、保田三郎、細谷健次、
阪本源平、中垣喜代一の各氏
躍進する兵庫の洋菓子界

その後、神戸洋菓同好会は、関西洋菓倶楽部と名称を変更。昭和27年21日、兵庫、大阪、京都から代表者が集まり、大阪・心斎橋の不二家で創立総会が開かれました。関西洋菓倶楽部は新発足し、いよいよ本格的に歩み出します。30年代、日本は第一次高度経済成長期に突入。洋菓子業界もにわかに活気づきました。31年2月12日から14日の3日間、神戸、大阪、京都の洋菓子組合がそれぞれの市でセント・バレンタインデーのキャンペーンを実施。神戸のキャッチフレーズは、「愛の日に愛のケーキをあの人へ」で、反響を呼びました。組合では、洋菓子技術の研究、各種講習会・コンテストの実施、若手技術者の養成、県民への洋菓子のアピールなど、規模も拡大していきました。また、兵庫県や神戸市など地方自治体の催す文化・産業展や、その他各種団体の催す展示会、博覧会などにも参加し、他業界とも積極的にコミュニケーションをとり、実績を積み重ねていったのです。  昭和46年5月には、兵庫県洋菓子高等職業訓練校が開校。以来、洋菓子業界を発展させるため、時代を担う若き技術者を育成し続けています。60年6月には、単独の組合としては最初の洋菓子会館を創立。資本金は4800万円。平成2年5月18日、組合の名称は、現在の「兵庫県洋菓子協会」へ変更しました。

洋菓子会館新設記念写真
前列左より浜田、藤井、三宅、井筒、霜田、船引、増田、福原の各氏
後列左より柿田、武田、上野、松田、畑中、小田、富井、森、宇山、中野、西の各氏
震災を乗り越えて……

平成7年1月17日、火曜日。それぞれの洋菓子店で、工場で、その日もいつもと同じように、仕込みの準備が進められていたことでしょう。午前5時46分、阪神大震災が発生、 マグニチュード7.2。協会加盟212社中、休業34店、本店工場の全壊23店、うち廃業を決めた店が5店(7年2月調べ)。協会の中枢である兵庫県洋菓子会館も、外壁・ガラスが崩れ落ち全壊、事務機能が麻痺しました。2月22日、イスズベーカリーにて緊急役員会を開催。「洋菓子復興委員会」を設置、発足させて、協会一丸となって一日も早い復興を目指すことになりました。また、日本洋菓子協会連合会をはじめ、他府県洋菓子協会、洋菓子関係者、賛助会員から暖かい義捐金が寄せられました。これらは、各協会員の被害状況に合わせて分配されました。協会会長・西正興氏(ユーハイム・コンフェクト会長)は、単身で各避難所や会社へとお見舞い、激励に回りました。また、炊き出しを行ったり、救援物資として避難所にお菓子を配るなど、個々の会社も救援活動を行いました。協会としては年間行事やコンテストなども継続するかたわら、復興イベントにも協力しました。4月8〜12日には、再開オープンした大丸神戸店のトップイベント「洋菓子KOBE展」(「洋菓子天国KOBE展」改め)を開催。まだまだガレキの残る神戸の街中ながら、会場には甘い夢と希望があふれ、神戸の洋菓子健在をアピールしました。また、全国展開をしている大手は、他の地域で同情購入による売り上げでカバーし、全壊した小さな店舗もなんとか自力で復旧して再開したり、他の被害の少なかった地区に移転して新しい店舗を作ったりして、多くは比較的に早い段階で元気を取り戻すことができました。 また、西正興会長の発案により、“洋菓子”と“灘のお酒”とが手を結んだ「二刀流のんべの会」が誕生。活気あふれる神戸の復興を目指し、以来、不定期で開催されています。 全壊した洋菓子会館は、12月にプレハブで再建、業務を再稼動。休校状態にあった洋菓子技術専門校も5月に第25期の新入生を迎えることができました。

1995.2.22緊急役員会
外壁、ガラスが崩れ落ちた洋菓子会館